コザと言っても、大まかに3つに分かれます、まずはライカム、これはRycom (琉球米軍司令部 Ryukyu Command headquarters)で、一番の高台にあります。
この近くの小高い山(終戦後に米が山をスパンと切って住宅街にした)のてっぺんにEMホテル(元々は米のヒルトンホテルが廃墟になったのをEMで再生)、ここは多分沖縄で一番の高級住宅街(外人住宅)で安くても月5-60万くらいかな、高級将校が住むところです。
今ライカムイオンがある広大な場所はその昔は高官達のゴルフ場だったらしい。
その高官たちの買い物や食事のために作られたのが、日本で最初のショッピングモールのプラザハウスです。
今でも高級品ばかりを扱っています。
そして、ライカムから2−3キロ坂を下ると、胡屋十字路があり、一般的にコザというとまずはここのことを指します。
ここにはゲート通り(ミリタリーのゲート2があるからこの名前)、FMコザがあるパークアヴェニューなどがあります。
つい2、30年前までは人混みで歩けなくらい賑わっていたとか、、その後はシャッター街となり、今はまた若い人たちが、再生してきていて、BAR、居酒屋等が沢山あります。
ここは所謂一般の軍人達(昔は白人中心の)が遊ぶ場所です。
ベトナム戦争の際には、基地からベトナムに向かう兵士たちが、飲みまくって、壁にドル紙幣(1ドル360円の時代)をはっ付けて帰って行ったとか、ここで喜納昌吉さんとかもバーをやって、むちゃくちゃ儲かったらしい。。。
オキナワンロックも紫なんかもここから出ています。コザ暴動もここでありました。
で、またそこから2−3キロ坂を下ると、コザ十字路があります。
このコザ十字路の右手が銀天街、斜め左手が僕の住む吉原です、銀天街は昔は黒人街で、白人と黒人はしょっちゅうイザコザを起こすから、遊ぶ街を分けられていたみたい。
で、吉原は白人が娼婦を買う街でした。
銀天街もシャッター街で、最近になり、ワインバーやユーチューバー達がバーをやっていたりしますが、まだまだこれからという感じかな。
でもって我らが吉原(このネーミングは江戸の吉原からつけられましたが、読み方は”よしはら”)はと言うと今は日本人相手の所謂チョンの間が中心の街、でも、今は随分少なくなりましたが、、ヒステリックな政治家等による売春街撲滅作戦(?)が沖縄中で行われ、普天間の前原などは消滅させられましたが、吉原はかろうじて残った。
あとは、スナックや民謡酒場が結構あります。
僕が吉原が好きなのは、沖縄ってワッターシマウチ(私たちの島、縄張り)と言う意識がとても強いところで、余所者は
嫌われる(特に威張っているナイチャー達 笑)傾向にありますが、ここ吉原は合衆国というか、寄せ集めで、あまりそういった差別感は感じません、もちろん、お店でウチナーンチュにナイチャーが嫌われるとか言うのは個別にあったりしますが、、まあ、出身も島もあちこちから来た人達で成り立っているような場所です。
このコザ十字路はライカムから見ると谷底のような場所で、正雄先生曰く、昔は沼地で、未だに十字路の下には戦車が2台
埋まっているのだとか(笑)
北谷やリゾート地などで遊ぶ観光客にはちょっと敷居(?)が高いような場所ですが、普通の沖縄観光では味わえないような場所でもあります。
初めて行く時は、この辺りに詳しい方に連れて行ってもらってくださいね!
僕もコザ吉原をもっと住みよく、楽しい街にしたいと日々微力ながら頑張っています。
吉原でゲストハウスを作って、世界中からバックパッカー達が来ればいいなあと思っています。
もちろん売春を勧めるのでも、否認するものでもありません。
昔のように人身売買をしている訳ではなく、生活の手段として、納得づくで本人がやっている分には、それはそれで、構わないと思っています。女性の問題だけではなく、今はLGBTの皆がそういう仕事についている実態もあるはずです。
教育者や警察の高官が少女回春して捕まったり、往生際の悪いセクハラ政治家などに比べればよっぽど健全だと思う。
ま、色々グダグダ書きましたが、、コザにはアッパークラス、ミドルクラス、ロークラスとクラス分けされて、色々と楽しめるという事です。
みなさま、ぜひ、コザに遊びにいらしてくださいね!
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