2025年10月2日木曜日

阿木さんのこと

 その昔、阿木譲という音楽評論家が大阪にいました。「ロックマガジン」という雑誌を発行したり、自身のインディレーベル(Vanity Records)でPhewのAnt Sallyや佐藤薫さんのRNA ORGANISMなどのコアな音楽を出してはりました。

実は僕もロクマグの最後の方に二度ほど記事を書かせてもらったことがあります。もう、恥ずかしい文章もええとこで、二度目に中原中也の詩など引用して書いたら、阿木さんに添削されて、パームスに来た阿木さんに「あんまり暗い文章書きなさんなよ」と言われてしまいました。(笑)

阿木さんはしょっちゅうパームスにいて、その編集部にいたこたち(澁谷くんとかマンショウくん)も友達でした。

まあ、色々な噂はありましたが、特に印象深いのは、大阪モード学園の女の子達は大抵やられていて(笑)、、捨てられた(?)女子は皆悪口を言ってました。(笑)

ある日、びっくりするくらい若くて綺麗な女の子をパームスに連れてきて、僕が「阿木さん、あんな可愛い子、どうしたんですか?」と聞くと、「心斎橋で前から歩いてきたから、君、僕と一緒に来なさい、と言っただけだよ」と嘘かホンマか分からんような事言ってました(笑)

そんな阿木さんにある日、DJブースの前で、「君はラジオのDJになりなさい」と言われました。その時は多分、いい意味ではなく、繋ぎもしない、踊られないような音楽ばかりかける僕のことを嫌味半分で言っていたのだと思います。

でも、その時の言葉がとても印象に残っていて、いつかラジオのDJやりたいなあと思うようになりました。そうして今の僕があるのかも知れません。

阿木さんの言葉で印象的なのはその2つと、後はバンドやっていると言ったら、「おお、音楽やっているのか」となんか嬉しそうな笑顔で言われたことの3つです。

阿木さんとロクマグについては、きょうRecordsというサイトで詳しく描かれているしロクマグの復刻も見れます。

後でわかったけど、阿木さんがハードバップジャズにハマっていた頃、丁度僕もジャズを真剣に聴き出した頃です。

ま、でも、面白い方で、音楽的にはロクマグの影響が当時も今もかなりあります。








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